関山・峰渡りの大ぶな
関山・峰渡りの「大ぶな」
大ぶなはどこにでもあるのだろうが、ひとつ気になっていたぶなの木があります。
2013年11月の関山峰渡りの探索をしたところ、見事な「大ぶな」を確認し、皆さんで名前をつけようか、ならば千手観音みたいだから「千手ぶな」と呼んでいいのでは…と下山したところでした。
その後、調べていくうちに高倉淳先生も気になさっていたこともわかりました。
みやぎ街道交流会の名誉顧問でありました、高倉淳先生の一文をお借りします。
【坂下番所から西進しますと明治新道に渡る橋があり左折します。巨岩が道をふさいでいたり、猿が出迎えてくれたりしたことが思い起こされます。歩を進めると江戸期の街道と交わり、急坂の先に坂下番所を見下ろすことが出来ます。さらに山の鼻を迂回してトンネルに向かいます。塞がれた入り口からのぞくと中には水がたまり、286m先に東口の光が見えます。
踏査隊はもときた道に戻り、登りやすい所を見つけて登り始めました。宝暦11年(1761)に記された「奥州仙台領遠見記」には「中ほどに大ふなといふ所あり、ぶなの大木数本あり」と記されていますがどうだったでしょうか。】
高倉淳先生は、昭和50年代、文化庁の「歴史の道調査」で歩いていますので、思い出しながら書き進めた一文で「大ふな」といふ所を,気になさっていたと存じます。
画像はその場所か…そして「大ふな」いや、「大ぶな」でしょうか。
そして、天童の浅井さんからこんなお便りがきました。
さて、その内容は次のとおりです。
峰渡りの道跡を仙台側の登り口「坂下」から辿って行くと、峠までの登り口の中程に、樹齢を重ねた「ブナの大木」が数本残されています。
「坂下」から峠までの間の道跡には、ここのほかには樹齢を重ねた「ブナあおもりの大木」は見当たりません。
「奥州仙台領遠見記」宮城県図書館資料S53.7.1発行及び「仙台領の地誌」今野印刷H13.2.3発行の「作並」(宮城国分)の項のなかで、峰渡りについて次のように表している箇所があります。
両者とも宮城県図書館蔵の宝暦11年(1761)に公にされた「奥州仙台領遠見記」(伊達文庫)に拠っています。
(宮城県図書館資料)
坂の下より峠までは登りの也。此の中程に「大ふな」というところあり。ブナの木、大木数本あり。
(今野印刷・仙台領の地誌)
坂の下より峠まてハ登り也、此の中程に「大ふな」というところあ。ブナの木大木数本あり。
各印刷物には「大ふな」とされています。
私らは「ブナの木はぶなの木」であり「ふな」とは呼んでいないはずです。
200年以上前は「ふな」と呼んでいたのかが気になるところですね。
そしてもう一つ気になっていたのが「ぶなの寿命」です。
私はいいところ200~300年が寿命だと思っていましたがそうではありませんでした。
そうすれば、一枚目のぶなの写真は「奥州仙台領遠見記」の「中ほどに大ふなといふ所あり、ぶなの大木数本あり」の場所と同一なのか疑問視されるところです。
【ぶなの寿命】浅井さんはこう説明しています。
宝暦11年(1761)に「奥州仙台領遠見記」が公にされたが、その時以来生息している同じブナであるかどうかについては、付近のブナが見られず、古木化した樹相から見て「遠見記」のなかの「ブナの木」と同一視することが可能である。
東北森林管理局によるブナ林観察ガイドの中の「ブナ生理特徴」によれば、推定樹齢700年のブナが確認されており、一般的には300年程度が寿命ではないかといわれている。
従って、このブナの大木のある地点が「遠見記」のなかの「大ふな」と同一の地点としてみることに問題はありません。
「ふな」か、「ぶな」かの論点ですが、浅井さんは
写本である原本(宮城県図書館蔵)についてマイクロ複写で確認したところ、「大ふな」の「ふ」には濁点が付されており、文中の「大ふな」については「大ぶな」と濁点を付して読むことが適切である。
と結論づけました。
近日中に、「大ぶな」に会いにいきますが、どんな語らいが「大ぶな」さんから聞こえるかが愉しみです。
末尾に山形新聞に掲載されました、関山愛林公益会による「峰渡りの道」刈払いをご紹介します。
日 時 平成25年4月20日(土)
参加者 関山愛林公益会会員 9人 山形新聞東根支局長、天童郷土史研究会 浅井さん 計11人
行程 坂下受難碑の前で慰霊した後、関山街道との交点まで迂回して、ここから崖状を登り、峠までの刈り払いは国有林なので必要最小限にとどめた。峠からは関山愛隣公益会の所有地であり、「小屋の原手前」までは本格的に藪を伐採した。
この結果、刈り払い前よりも格段に歩きやすくなり、全行程5時間程度で可能となった。関山愛隣公益会は、これを機会にして見直し保存へと動き出している。
大ぶなはどこにでもあるのだろうが、ひとつ気になっていたぶなの木があります。
2013年11月の関山峰渡りの探索をしたところ、見事な「大ぶな」を確認し、皆さんで名前をつけようか、ならば千手観音みたいだから「千手ぶな」と呼んでいいのでは…と下山したところでした。
その後、調べていくうちに高倉淳先生も気になさっていたこともわかりました。
みやぎ街道交流会の名誉顧問でありました、高倉淳先生の一文をお借りします。
【坂下番所から西進しますと明治新道に渡る橋があり左折します。巨岩が道をふさいでいたり、猿が出迎えてくれたりしたことが思い起こされます。歩を進めると江戸期の街道と交わり、急坂の先に坂下番所を見下ろすことが出来ます。さらに山の鼻を迂回してトンネルに向かいます。塞がれた入り口からのぞくと中には水がたまり、286m先に東口の光が見えます。
踏査隊はもときた道に戻り、登りやすい所を見つけて登り始めました。宝暦11年(1761)に記された「奥州仙台領遠見記」には「中ほどに大ふなといふ所あり、ぶなの大木数本あり」と記されていますがどうだったでしょうか。】
高倉淳先生は、昭和50年代、文化庁の「歴史の道調査」で歩いていますので、思い出しながら書き進めた一文で「大ふな」といふ所を,気になさっていたと存じます。
画像はその場所か…そして「大ふな」いや、「大ぶな」でしょうか。
そして、天童の浅井さんからこんなお便りがきました。
さて、その内容は次のとおりです。
峰渡りの道跡を仙台側の登り口「坂下」から辿って行くと、峠までの登り口の中程に、樹齢を重ねた「ブナの大木」が数本残されています。
「坂下」から峠までの間の道跡には、ここのほかには樹齢を重ねた「ブナあおもりの大木」は見当たりません。
「奥州仙台領遠見記」宮城県図書館資料S53.7.1発行及び「仙台領の地誌」今野印刷H13.2.3発行の「作並」(宮城国分)の項のなかで、峰渡りについて次のように表している箇所があります。
両者とも宮城県図書館蔵の宝暦11年(1761)に公にされた「奥州仙台領遠見記」(伊達文庫)に拠っています。
(宮城県図書館資料)
坂の下より峠までは登りの也。此の中程に「大ふな」というところあり。ブナの木、大木数本あり。
(今野印刷・仙台領の地誌)
坂の下より峠まてハ登り也、此の中程に「大ふな」というところあ。ブナの木大木数本あり。
各印刷物には「大ふな」とされています。
私らは「ブナの木はぶなの木」であり「ふな」とは呼んでいないはずです。
200年以上前は「ふな」と呼んでいたのかが気になるところですね。
そしてもう一つ気になっていたのが「ぶなの寿命」です。
私はいいところ200~300年が寿命だと思っていましたがそうではありませんでした。
そうすれば、一枚目のぶなの写真は「奥州仙台領遠見記」の「中ほどに大ふなといふ所あり、ぶなの大木数本あり」の場所と同一なのか疑問視されるところです。
【ぶなの寿命】浅井さんはこう説明しています。
宝暦11年(1761)に「奥州仙台領遠見記」が公にされたが、その時以来生息している同じブナであるかどうかについては、付近のブナが見られず、古木化した樹相から見て「遠見記」のなかの「ブナの木」と同一視することが可能である。
東北森林管理局によるブナ林観察ガイドの中の「ブナ生理特徴」によれば、推定樹齢700年のブナが確認されており、一般的には300年程度が寿命ではないかといわれている。
従って、このブナの大木のある地点が「遠見記」のなかの「大ふな」と同一の地点としてみることに問題はありません。
「ふな」か、「ぶな」かの論点ですが、浅井さんは
写本である原本(宮城県図書館蔵)についてマイクロ複写で確認したところ、「大ふな」の「ふ」には濁点が付されており、文中の「大ふな」については「大ぶな」と濁点を付して読むことが適切である。
と結論づけました。
近日中に、「大ぶな」に会いにいきますが、どんな語らいが「大ぶな」さんから聞こえるかが愉しみです。
末尾に山形新聞に掲載されました、関山愛林公益会による「峰渡りの道」刈払いをご紹介します。
日 時 平成25年4月20日(土)
参加者 関山愛林公益会会員 9人 山形新聞東根支局長、天童郷土史研究会 浅井さん 計11人
行程 坂下受難碑の前で慰霊した後、関山街道との交点まで迂回して、ここから崖状を登り、峠までの刈り払いは国有林なので必要最小限にとどめた。峠からは関山愛隣公益会の所有地であり、「小屋の原手前」までは本格的に藪を伐採した。
この結果、刈り払い前よりも格段に歩きやすくなり、全行程5時間程度で可能となった。関山愛隣公益会は、これを機会にして見直し保存へと動き出している。
by maro4070
| 2014-04-03 08:00
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by maro4070
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