最上海道の秋味を汁…満艦飾のいにしえ街道(^.^)
2009.11/8(日) 宮城県漆沢から山形県銀山温泉 天候:晴れ 同行:soneさん ebiyanさん、morinoさんmaronnさん、マロ7、おっ家内の6名だよ
【7:55加美町漆沢・最上街道登山口~8:45高畑山9:00~9:25長沼林道合流~10:25林道分岐~最上街道看板~湯殿山碑~小沢渡渉~軽井御番所跡~県境(軽井沢峠)~13:05天沼~13:45尾花沢上ノ畑林道・最上(仙台)街道終点】
今年6月に「最上街道:軽井沢越え」の計画は雨天で中止になっていました。
1ヶ月前にSONEさんからお声をいただきましたので、「ヤッター」です。
今回のメンバーは、山仲間のsoneさん、ebiyanさん、そして一緒に新庄神室と北泉ヶ岳を縦走しましたmorinoさんとmaronnさんが参加、おっと我が、おっ家内も久々登板でございます。
都合あって参加出来なかったタッシーさん、ミイラさん、itikoさん皆さんとこのアップで楽しんでくださいね。
そして、今度はご一緒に歩きましょうね。(^^)/~~~
ん~、最上街道は宮城県加美町漆沢と山形県尾花沢市銀山温泉を結ぶ古道であります。
今から約1300年前の奈良時代に多賀城に在任した、大野東人鎮守府将軍が軍用路として切り開き、現在の国道347号線が開通する明治25年まで地域の政治・経済・文化に大きな役割を果たしてきた街道なのだそうです。
大野東人鎮守府将軍は日本三古碑の一つである多賀城の碑に名前が出てくる。これは多賀城を修造した時の記念碑なようなものであるが、この碑は砂岩質でもろいことから真贋論があり近年、ようやく本物と定着したところである。
時の副将軍、水戸光圀公も大日本史を編纂する時に家来に命じて確認させたそうで、その後訪れた芭蕉も曽良と涙を流したそうであるが…。
多賀城には市川に五万崎という地名がある。当時、五万の兵隊を集めたということであるが、soneさんの五千の兵隊が妥当であろう。この街道は利府に入り勿来ダムから板谷峠を経て吉岡に至れば色麻に通じることになる。そんな、いにしえの街道を踏むとなるとワクワクドンドンである。
あっ、脱線してしまったがそんな多賀城からのルートとなれば一入である。色麻からのルートはsoneさんが詳しく記載しているので参照してください。(一部soneさんの原文を引用させていただきました)
このコースは船形山と翁山の中間にありますが、晩秋の奥羽脊梁山脈越えがこんなに素晴らしいものとは思いませんでしたよ。
それにしても山仲間は狭いもの、今回急遽参加になったmorinoさんとmaronnさんはsoneさんと以前、秋田の高松岳で会ったそうである! 当時の状況が一致して和気藹々のスタートです。(嬉笑)
□山神社脇の「最上海道の看板」に目を奪われる。Soneさんの説明によれば山形から宮城に向かえば海に 通じる道だそうだ。なるほど、納得で荒れた林道を登る。
□杉林に導かれる。少しジグザグに登っていくと顕著な尾根になった。
この時、馬のいななくような声が最後尾のマロ7に聞こえた。蔵王の時と同じ声だァ。
(▼▼)奴は近いなとつ ぶやきながら紅葉が綺麗なコナラの雑木林を辿る。
□それにしても、運の尽きがいいのかな。今までは数コが限界だった奴の物も今秋は事情が違う。
至る所に登山道上に見られる。今年は山の幸も豊作年というから、来春は子沢山の山になるだろうか。
□緩登が終わる頃、「石舟」という標識が…でも、それらしい確認はできなかったな。
□50分で高畑山に到着、ここは石碑があり小休止とする。
三角点北側のあるがGPSでは山頂がこことはちと、違うようだな。
石碑は「高畑大明神」と刻まれている。いよいよ「いにしえ」の雰囲気となる。
□尾根に上がれば緩やかなアップダウンを繰り返す楽な行程となる。
それにしても、奴の物も多かったが、熊だなも沢山目立つ。
□それにしてもsoneさんの千里眼、キノコを見つけると颯爽とゲットするのだ。(ヘ。ヘ)
□林道出会いに入ると軽トラが1台、室内には2匹のワン公が吠えていた。
6名の姿を見てここから出してくれと吠えていたかな。主人は、キノコ採りなのだろうか。
□それにしても林道の水たまりというより小川となっている。
小川の根元となっている「助小屋跡」に到着し小休憩、小腹がすいたので「太田屋の大福」を皆で食べる。
□ガスから曇りベースとなったが高い山はどこにあるんだろうか…と思うほど。
南側の展望が開けた場所はこのとおりの景観。
□平坦な名月平にある土盛りした湯殿山碑に到着、文化の年号(1804~1817)が刻まれている。
今から200年前である。
□名月平をすぎると緩やかな下り、葉山の奧に雪をかぶった月山が眺められた。
■そして女性陣が何かをしている。
maronnさんが筋力トレーニングかと思ったほど…。
んん、懸垂を○○回、何とebiyanさんが手を伸ばしてゲットで、見事な連携プレーでムキタケをゲットである。
□相変わらず、奴の気配が感じる特有の堆肥臭気はワクワクドンドンである。見事に高枝が折れている。
□伏流水の沢があったので女性陣はゲットしたキノコの水洗い、いよいよ昼が近づいたどー。(ヘ。ヘ)
□半森山に近づきました。目指す軽井沢番所はもうすぐです。
「ツルウメモドキ」と「まゆみ」があり、女性陣の目先が変わりましたでぇ~。
□ 軽井沢御番所跡は山形県境の半森山南麓に位置します。
伊達政宗公が治めた晩年の寛永5年(西暦1628年)に仙台藩の関所がおかれました。
この地は冬期間は積雪の関係から御番所を門沢御場所に移したそうである。
そして御番所跡には役所・神社・墓地・宿場跡などが残されており当時の面影を残していた。
石の鳥居はいつのものだろうか。
□軽井沢番所で昼食となり、みんな輪になって笑顔ですよ。
ebiyanさん特性のムキタケ汁には何と肉がたっぷりで超旨。
そしてこの秋の定番となった蔵王ホルモンは講評でありました。
□あれっ、缶ビールに蜂公が入ろうとしていました。そのまま飲んだら唇刺されて「いかりや長介」だったかな。
□みんなで記念写真は、セルフタイマーで自分のカメラを直視です。
アラアラ、soneさんフライイングかな。
□番所からは悪路が待っていましたよ。
でも、山ブドウを頬張りながらもいい秋味でした。
□天沼青蛙の生息地の標柱、県境はこの辺なのです。そう言えば、赤面症の青蛙を探していたんだがね (▼▼)
□そして天沼、なんとご褒美でしょうか。
ツルウメモドキが沢山で、またもや女性陣の目色が変わりましたよ。
今度は木の葉のこ、ノコギリ持ってくっぺぇ。(o^^o)
□カラ松の中に名残の紅葉が、その黄金に輝く紅葉は秋の終わりを感じさせますね。
□県境から天沼を過ぎれば緩やかな下り斜面である。
杉林を抜けるとあっという間に山形県側の仙台街道標識へと到着です。
途中岐路があります。迷いそうなところもあるので十分にご注意頂きたいと思います。
ここ、熊鈴は必携ですよ!!
□この時GPSを確認したebiyanさんは、歩いた距離は全長11.5kmです。
私のは16㎞、何でかというと停止していても距離が走るのですよ。何処かの設定かな。
どなたさんか、教えて~(;゚゚)ワーッ!
□漆沢に向かう途中の二ツ森が目をひいた。
□ 漆沢・登山口の銀杏の彩り、少しばかり銀杏をいただいてまいりました。(^.^)
てな訳でございまして、たっぷりと先人のご苦労もかねて、いにしえの体験でした。
今回のブログはいままでの長編かな。とりとめのない文になって、つじつまが合わない。
でも、読んで合わせてねぇ。ヾ(^_^)BYE
後で、地図をアップしますね。
【7:55加美町漆沢・最上街道登山口~8:45高畑山9:00~9:25長沼林道合流~10:25林道分岐~最上街道看板~湯殿山碑~小沢渡渉~軽井御番所跡~県境(軽井沢峠)~13:05天沼~13:45尾花沢上ノ畑林道・最上(仙台)街道終点】
今年6月に「最上街道:軽井沢越え」の計画は雨天で中止になっていました。
1ヶ月前にSONEさんからお声をいただきましたので、「ヤッター」です。
今回のメンバーは、山仲間のsoneさん、ebiyanさん、そして一緒に新庄神室と北泉ヶ岳を縦走しましたmorinoさんとmaronnさんが参加、おっと我が、おっ家内も久々登板でございます。
都合あって参加出来なかったタッシーさん、ミイラさん、itikoさん皆さんとこのアップで楽しんでくださいね。
そして、今度はご一緒に歩きましょうね。(^^)/~~~
ん~、最上街道は宮城県加美町漆沢と山形県尾花沢市銀山温泉を結ぶ古道であります。
今から約1300年前の奈良時代に多賀城に在任した、大野東人鎮守府将軍が軍用路として切り開き、現在の国道347号線が開通する明治25年まで地域の政治・経済・文化に大きな役割を果たしてきた街道なのだそうです。
大野東人鎮守府将軍は日本三古碑の一つである多賀城の碑に名前が出てくる。これは多賀城を修造した時の記念碑なようなものであるが、この碑は砂岩質でもろいことから真贋論があり近年、ようやく本物と定着したところである。
時の副将軍、水戸光圀公も大日本史を編纂する時に家来に命じて確認させたそうで、その後訪れた芭蕉も曽良と涙を流したそうであるが…。
多賀城には市川に五万崎という地名がある。当時、五万の兵隊を集めたということであるが、soneさんの五千の兵隊が妥当であろう。この街道は利府に入り勿来ダムから板谷峠を経て吉岡に至れば色麻に通じることになる。そんな、いにしえの街道を踏むとなるとワクワクドンドンである。
あっ、脱線してしまったがそんな多賀城からのルートとなれば一入である。色麻からのルートはsoneさんが詳しく記載しているので参照してください。(一部soneさんの原文を引用させていただきました)
このコースは船形山と翁山の中間にありますが、晩秋の奥羽脊梁山脈越えがこんなに素晴らしいものとは思いませんでしたよ。
それにしても山仲間は狭いもの、今回急遽参加になったmorinoさんとmaronnさんはsoneさんと以前、秋田の高松岳で会ったそうである! 当時の状況が一致して和気藹々のスタートです。(嬉笑)
□山神社脇の「最上海道の看板」に目を奪われる。Soneさんの説明によれば山形から宮城に向かえば海に 通じる道だそうだ。なるほど、納得で荒れた林道を登る。
□杉林に導かれる。少しジグザグに登っていくと顕著な尾根になった。
この時、馬のいななくような声が最後尾のマロ7に聞こえた。蔵王の時と同じ声だァ。
(▼▼)奴は近いなとつ ぶやきながら紅葉が綺麗なコナラの雑木林を辿る。
□それにしても、運の尽きがいいのかな。今までは数コが限界だった奴の物も今秋は事情が違う。
至る所に登山道上に見られる。今年は山の幸も豊作年というから、来春は子沢山の山になるだろうか。
□緩登が終わる頃、「石舟」という標識が…でも、それらしい確認はできなかったな。
□50分で高畑山に到着、ここは石碑があり小休止とする。
三角点北側のあるがGPSでは山頂がこことはちと、違うようだな。
石碑は「高畑大明神」と刻まれている。いよいよ「いにしえ」の雰囲気となる。
□尾根に上がれば緩やかなアップダウンを繰り返す楽な行程となる。
それにしても、奴の物も多かったが、熊だなも沢山目立つ。
□それにしてもsoneさんの千里眼、キノコを見つけると颯爽とゲットするのだ。(ヘ。ヘ)
□林道出会いに入ると軽トラが1台、室内には2匹のワン公が吠えていた。
6名の姿を見てここから出してくれと吠えていたかな。主人は、キノコ採りなのだろうか。
□それにしても林道の水たまりというより小川となっている。
小川の根元となっている「助小屋跡」に到着し小休憩、小腹がすいたので「太田屋の大福」を皆で食べる。
□ガスから曇りベースとなったが高い山はどこにあるんだろうか…と思うほど。
南側の展望が開けた場所はこのとおりの景観。
□平坦な名月平にある土盛りした湯殿山碑に到着、文化の年号(1804~1817)が刻まれている。
今から200年前である。
□名月平をすぎると緩やかな下り、葉山の奧に雪をかぶった月山が眺められた。
■そして女性陣が何かをしている。
maronnさんが筋力トレーニングかと思ったほど…。
んん、懸垂を○○回、何とebiyanさんが手を伸ばしてゲットで、見事な連携プレーでムキタケをゲットである。
□相変わらず、奴の気配が感じる特有の堆肥臭気はワクワクドンドンである。見事に高枝が折れている。
□伏流水の沢があったので女性陣はゲットしたキノコの水洗い、いよいよ昼が近づいたどー。(ヘ。ヘ)
□半森山に近づきました。目指す軽井沢番所はもうすぐです。
「ツルウメモドキ」と「まゆみ」があり、女性陣の目先が変わりましたでぇ~。
□ 軽井沢御番所跡は山形県境の半森山南麓に位置します。
伊達政宗公が治めた晩年の寛永5年(西暦1628年)に仙台藩の関所がおかれました。
この地は冬期間は積雪の関係から御番所を門沢御場所に移したそうである。
そして御番所跡には役所・神社・墓地・宿場跡などが残されており当時の面影を残していた。
石の鳥居はいつのものだろうか。
□軽井沢番所で昼食となり、みんな輪になって笑顔ですよ。
ebiyanさん特性のムキタケ汁には何と肉がたっぷりで超旨。
そしてこの秋の定番となった蔵王ホルモンは講評でありました。
□あれっ、缶ビールに蜂公が入ろうとしていました。そのまま飲んだら唇刺されて「いかりや長介」だったかな。
□みんなで記念写真は、セルフタイマーで自分のカメラを直視です。
アラアラ、soneさんフライイングかな。
□番所からは悪路が待っていましたよ。
でも、山ブドウを頬張りながらもいい秋味でした。
□天沼青蛙の生息地の標柱、県境はこの辺なのです。そう言えば、赤面症の青蛙を探していたんだがね
□そして天沼、なんとご褒美でしょうか。
ツルウメモドキが沢山で、またもや女性陣の目色が変わりましたよ。
今度は木の葉のこ、ノコギリ持ってくっぺぇ。(o^^o)
□カラ松の中に名残の紅葉が、その黄金に輝く紅葉は秋の終わりを感じさせますね。
□県境から天沼を過ぎれば緩やかな下り斜面である。
杉林を抜けるとあっという間に山形県側の仙台街道標識へと到着です。
途中岐路があります。迷いそうなところもあるので十分にご注意頂きたいと思います。
ここ、熊鈴は必携ですよ!!
□この時GPSを確認したebiyanさんは、歩いた距離は全長11.5kmです。
私のは16㎞、何でかというと停止していても距離が走るのですよ。何処かの設定かな。
どなたさんか、教えて~(;゚゚)ワーッ!
□漆沢に向かう途中の二ツ森が目をひいた。
□ 漆沢・登山口の銀杏の彩り、少しばかり銀杏をいただいてまいりました。(^.^)
てな訳でございまして、たっぷりと先人のご苦労もかねて、いにしえの体験でした。
今回のブログはいままでの長編かな。とりとめのない文になって、つじつまが合わない。
でも、読んで合わせてねぇ。ヾ(^_^)BYE
後で、地図をアップしますね。
by maro4070
| 2009-11-08 21:45
| 歴史・街道を行く
ようこそお出でいただきました。あっちこっちのネタですが辛抱してみてくださいませ。(^O^)
by maro4070
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