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「第15回二井宿峠古道ハイク」-歴史と自然の道を辿る-

【日  程】2013年5月11日(土)     【天 候】曇
【行  程】 大滝不動尊~県境~屋代舘~県境~大滝不動尊~二の坂~桂橋沢~二の坂~大滝不動尊(二井宿地区公民館で山菜おこわ、山菜汁、山菜料理等の昼食会特製手作りタンポポコ-ヒ-にてと懇親会)
【メンバー】 マロ7、おっ家内  計50名

山形県では最も古くから開けた二井宿峠、そこには全国へと繋がる歴史が凝縮しています。
萌黄色の新緑のなか、伊達の中世の山城・屋代舘を目指し、古道を辿ってきました。
ゲンジ蛍とカジカ蛙愛護会が主催します、第15回二井宿峠古道ハイクに参加です。
登山ではないしたまには歴史を垣間見ながら古道歩きも良いかなと…おっ家内は山菜づくしのお料理に惹かれたようです。
協力:二井宿地区公民館
後援:三宿地域連携協議会 みやぎ街道交流会 とうほく街道会議
羽州街道交流会 福島県街道交流会 高畠町観光協会

集合場所は「峠の茶屋」ということで、国道113号線宮城県山形県境付近の手前から左側に旧二井宿峠への道があり、そこから300mほど下がったところになります。
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高畠町との個人的な繋がりは今から50年前になります。
①我が地元に高畠町の酒蔵さんが別荘を求めました。別荘主と祖父が懇意となり酒蔵さんの「大政」という酒を美味しそうに飲んでいた記憶があります。
②父のトラックに乗って多賀城から缶詰缶の原料を積んで高畠町の果物工場までこの二井宿峠を通行しています。
③今は「クマ仙人」のブログを通じて高畠町との繋がりがあるのですね。
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セレモニーには、隣の七ヶ宿町長が激励に参りました元気になります。
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集合場所の大滝不動尊ですが、茶屋のすぐ隣、石段で急な坂を登ったところにあります。
不動尊は鎌倉時代に越後は北蒲原の菅谷不動尊より勧請したもので、眼病に霊験があると謳っています。お堂は嘉永5年(1852年)、二井宿の名工戸田半七とその弟子高梨軍七と高梨亦七が手がけたもので、見事な龍の浮き彫りが見物だ。さらにお堂の上手にある平場にはその昔米沢藩が屯所を置いていたそうで、国境警備の武士が詰めていたという。
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二井宿峠ですが、 「まほろばの里」を謳う高畠町は、かつて屋代郷と呼ばれ、二井宿峠はその屋代郷こと高畠町と、宮城県の七ヶ宿町を結ぶ県境の峠です。二井宿峠は山形最古の峠のひとつだと考えられております。道ばたにはキバナイカリソウが至る所にありました。
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 二井宿とは「新宿」の読み替えで、「上宿」と「下宿」二つの地区からなる。北にある大社神社近辺や西にある安久津が旧い宿場町だったのに対し、新しくできた宿場町だから「新宿」と呼ばれるようになり、寛政5年(1793年)に「二井宿」と改められたようです。
一説によると大火をきっかけに防火のため、上宿と下宿の間に井戸が掘られたので「二井宿」と綴られるようになったとか。
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その名のとおり、二井宿はかつての宿場町で、米沢を発し二井宿峠を越え、福島に至る道は「二井宿街道」「仙台街道」「七ヶ宿街道」等と呼ばれ、戦国時代になると沿線に宿場町が作られたのです。
二井宿峠の標高は568m程度と低く、路線もそう複雑ではなく、山形県内の奥羽越えの峠では越えやすい峠でしょう。
現在の旧道は明治15年(1882年)頃に作られたもので、例によって「土木県令」三島通庸が手がけたようです。仙王岳へ目がいってしまいます。
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車が来ないのでだべりながら…。みなさん、すぐにうち解け合いましたね。(^_^)
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伊達の無理境ですが、不動尊を出ればすぐ峠は近く、鞍部手前にさしかかると、今度はでかでかとした県境標識が現れます。
県境は尾根にあることが多いのですが、二井宿峠は鞍部から少し西にずれた場所にあるよおうです。
これは戦国時代に峠を巡る争いがあったためで、それにちなんでこの県境は「伊達の無理境」と呼ばれています。
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 戦国時代、置賜地方では三つの大名が入れ替わっており、最初に置賜入りを果たしたのは、後に仙台に移った伊達氏であります。伊達氏が東北地方で勢力を振るうきっかけになったのは、源頼朝による奥州藤原氏征伐だった。鎌倉時代直前の文治5年(1189年)、石名坂の戦いで活躍した常陸入道念西はその功で福島の伊達郡を賜り、以後「伊達」姓を名乗るようになり、これが伊達氏の始まりなんですね。
これとほぼ同じ頃、置賜支配を任されたのが後に長井氏を名乗る大江時広です。
時広は頼朝の側近大江広元の次男で、藤原氏征伐では中津川(現在の飯豊町)に籠もった藤原氏の武将、藤原良元を討つという手柄を立てています。
以後両氏はそれぞれ伊達と置賜を支配していましたが、室町時代の天授6年/康暦2年(1380年)になると、八代目当主伊達宗遠が置賜領有を目論み、二井宿峠より置賜の長井氏八代目広房の元に攻め込みます。宗遠の執拗な攻撃によりやがて長井氏は滅亡、伊達氏は置賜を手にするのですね。
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その後、二井宿峠は要地として、歴代の伊達当主が通ることになります。
伊達氏が高畠に拠点高畠城を設けた際には、伊達郡の本拠地赤館城との連絡路として利用されたようです。十三代尚宗と十四代稙宗(たねむね)が争ったとき、稙宗はこの峠を越えて伊達郡に避難したとか。
そしてかの有名な「独眼竜」こと十七代貞山政宗公も、この峠に縁のある一人であります。
まだ少年だった天正7年(1579年)の冬、米沢に向かう際、雪で板谷峠が通れなかったので、ここ二井宿峠を通り、慶長5年(1600年)7月には、この峠で争うことになるのです。
ホラ貝のサービスもあり吹かせていただきました。(^_^)音がでたどー。
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政宗は豊臣政権下で置賜を追われ、宮城の岩出山に転封させられます。
置賜は蒲生氏による短期の支配を経て、慶長3年(1598年)より、越後から入部した上杉氏の領地となります。伊達氏は豊臣方に対抗する徳川家康に接近し、上杉氏は豊臣方に付きます。
天下分け目の関ヶ原前夜、全国が東軍と西軍に別れて争うことになりますが、ここでも当時は上杉氏が領していた白石城を巡り、東軍の伊達氏と西軍の上杉氏が激突することになり、その攻防の舞台が、二井宿峠なのですね。風穴もありましたよ。
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伊達氏の勢いは相当なもので、白石城を陥落させたばかりか二井宿街道をさかのぼり峠に迫ります。
街道筋は伊達氏の故地で、領民も伊達氏の世話になった者ばかり、多くがかつての領主に味方したので、戦いはさらに伊達氏有利に進んだ。そしてついには鞍部を越え置賜を摩し、国境を鞍部西側300メートルまで押し返すに至ります。
こうして決まった国境が「伊達の無理境」。「無理境」はそのまま出羽と陸奥の国境となり、近代になっても県境として残ることになったのです。対岸の大滝がチラっと見えました。
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無理境は政宗がわずかに取り返した「置賜」の地であり、一族が置賜入りを果たしたゆかりの地なのです。
わずか300メートルではありますが、米沢生まれ置賜育ちの貞山政宗公にとって、この300メートルには大きな意味があるようです。
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大滝不動尊の戻りかつら橋までピストンします。
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ナイロン袋も膨らんできましたね。
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小学校からの仙王岳。
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そしてお待ちかねの昼食は美味しかったですよ。
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食事後は、今日の感想をひとり一人述べ、ジョークもありこれまた楽しい時間をすごします。
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ルート図です。
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おもてなしをいただいた古道ハイクとなりました。
お天気があやぶれましたが、昼食後に本降りとなったようですが濡れずにすみました。
本当に関係者の皆さんにはお世話になりました。
来年も是非、参加したいと思います。(^o^)アリガトウゴザイマシタ
by maro4070 | 2013-05-11 20:31 | 歴史・街道を行く


ようこそお出でいただきました。あっちこっちのネタですが辛抱してみてくださいませ。(^O^)


by maro4070

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