関山古道へ

【日  程】2011年5月5日(木)     【天 候】晴
【山  域】宮城・奥羽山脈  関山古道   
【行  程】山形側駐車場~永昌橋~関山峠県境頂~峰渡り古道登山口~坂下番所跡~宮城県側駐車場
【メンバー】じゅんさん/津久井さん/北沢さん/morinoさん/マロ7/おっ家内・6名

かねてから関山古道を歩きたいと考えていた。
関山古道は、「小山田新道」が完成した数年後の明治15年に完成している。
現在の関山新道ができるまで山形と仙台を結ぶ大動脈であった。しかしながら、昭和44年に新道が完成すると廃道となり現在は両側の入り口が閉鎖されているも、山形側は近代化産業遺産に登録されしっかりとした保存がなされ宮城側は見る影もない。
この関山古道振り返れば、高一の夏の日のチャレンジ、自転車で北上し盛岡に一泊、翌日は十和田湖畔、三日目は八郎潟、四日目は余目駅構内にお世話になる。台風が接近し強風となったので福島には行かず宮城に帰ることとした。
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その時、旧関山街道を自転車で越えることとなりました。当時、関山隧道には女の幽霊<雪女>が出るらしいと河北新報にも載った。タクシーが後部座席に乗せて愛子で降ろそうとしたら女は乗っておらず座席だけが濡れていたそうである。自転車は暗いトンネルを進む訳ですが、路面は凸凹、上からはヒタヒタと水が滴り背中に落ちたので相当のブルブル感でもあった。
あれから40数年、またとないチャンスが巡って参りました。


7時半の予定に5分遅れで作並チェン脱着所に到着、何故か見慣れた方が、なんとsoneさんでした。今から月山を滑りに行くそうです。そして、第2待ち合わせ場所の桂沢橋で浅井さんと待ち合わせです。少しだけ小山田新道へ通じる尾根の入り口を確認ということであります。ここは地図にも明記されていないルートだそうですが、その昔は木材の搬出に使われたそうです。30分の時間でしたが謎であった尾根へ取り付くルートを教えていただき感激です。
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坂下番所付近にデポ車を置き、沢から国道へ登れるように梯子をセットしておく用意周到さは、じゅんさんならではのものです。
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車は関山トンネルを通過しますが、やはり気になる公衆電話の駐車スペースに1台の白いワゴン車がありました。寒風山にでも行ったのかなと…。
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山形側に下り左折、今から40年以上前まで使われていた旧国道は何とか通れるくらいです。
いよいよ古の道を辿る訳ですがすぐに渡河になりますが、ここでもじゅんさんの気配りが、数日前に下見を行い川底にブロックを敷いていたので難なく渡河できました。
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渡河すると川岸には少しばかりのこごみが、おっ家内はこれが目的で来たもんで少しばかりいただきそしてガレ場を通過します。
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尾根道に上がります。樹間からは浅井さんが手を振って見送りしていました。
古道は一面がイワウチワの群生地といっても過言ではありません。急な登りも疲れを癒してくれます。
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高度を上げると、左手には鋭峻な柴倉山がそして黒伏山へと繋がります。
寒風山も青空の中に見えました。
振り返れば、堂木沢山がいつ来るんだろうって呟いていました。
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そして山桜も満開を迎えていました。これは山桜ではなくおかめの木でした。(*^_^*)オオカメでした。
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北面白山は残雪で覆われていました。
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古の道は薄藪でしたが、高度が700m付近から猛烈な藪に突入しました。戻ることも選択肢にありますが、やはり関山の標点を極めればなりません。
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藪から抜けると落とし物が、名前は「アカガワ」と判読できます。ご存知の方はご連絡ください。
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雪渓を辿るとすぐに山頂となりました。
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6人で輪になって昼食タイムです。じゅんさんの手作りワラビは初物でありました。うまい(^o^)ハイパチリ
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関山からはずっと下りです。道が消えたりする部分もありますが、テープもあるし尾根道を外さなければ大丈夫です。小新川山も気になる存在ですが、あの尾根の向こうは小山田新道なのです。
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一気に下ると旧関山国道に交差しますが、あれれ、想定外が…やはりこの震災で壁面が崩れており進むことができません。
少し戻り、じゅんさんの用意したロープで降下します。おっ家内はどうしようかと考えたところ胴体に結着してmorinoさんの確保により無事降下です。
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旧道に、降りた途端に感慨深いものがこみ上げてきました。前段にも述べたように背筋に雪女の幽霊を感じたまま自転車でこの坂道をくだったことを思い出したのです。

【参考】道路は明治初期に作られたゆえ急カーブ・急勾配が多く、交通事故や転落事故が続出した。関山峠は自動車にとっても難所で、多くの人々が事故により命を失うことになったのだ。昭和39年(1964年)の夏には、車を止める幽霊騒ぎまで持ち上がっている。
 関山峠が幽霊の名所として知られるのは、火薬爆発事故や相次ぐ交通事故で、この道が多くの人の血を吸ったからに他ならない。慰霊碑の建立は、そうした過去と無縁でない。
仙台側を半分ほど登ったところで道は鋭く切り返し、隧道に向かって登っていく。仙台側に九十九折りはないかわり、二ヶ所の鋭いカーブが現れる。一つは現道から旧道に折れる入口のカーブで、もう一つがここである。周辺の路肩は断崖なので、曲がり損ねたら谷底まで真っ逆さまになるだろうことは、容易に予想がつく。
 このカーブは嶺渡りの古道と旧道が交差する場所で、嶺渡りはここを横断して、板下の番所まで通じていた。古道は現在道もなく、相応の登山経験がないと通れないような状態らしい。
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尾根筋を下れば坂下番所です。ここには殉難の碑があり塩釜の白石商会が引き受けたダイナマイトを運んでいる途中に、人夫の吸ったタバコの火が引火して妊婦を含んだ30数名の方が亡くなっています。そして、昭和初期に建立した慰霊碑には三島某の名前が記されていました。初代山形県令三島の息子か孫の名前なのでしょうか。
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渡河をして、この梯子を登りきれば国道48号線です。ここでも、コゴミをゲットです。
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サプライズですが、今朝ほど浅井さんに近くの杉の下にお墓あるからと教えていただきましたので行ってみます。なぜ、こんなところに墓碑が…?200~300年前と思われる墓碑には文明と読みとれました。目視で10数個、発掘すれば相当出てくるかもしれません。おそらくは坂下番所の関係者でしょうかと思いが…。


【参考】作並温泉から関山峠までの道は、広瀬川に沿いながら多くの沢を越えて坂下の番所に到着します。ここには宝暦7年(1757)ころまで、御境目守として岩松長三郎が藩から家屋敷を与えられ居住していたと言われています。…ということは岩松家の墓所なのかな??。
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念願の関山峰渡りを終了です。バンザイ(^_^)
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車を回収に山形側に行き今日の無事と楽しいお山歩きを確認しました。帰り際、皆さんから「おり久」の話が出ましたのでチャレンジしました。
マロ7、前回はカレーラーメンでしたので、今日は、豆乳ラーメンで勝負してみました。
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ルート図です。
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by maro4070 | 2011-05-05 19:00 | 関山界隈


ようこそお出でいただきました。あっちこっちのネタですが辛抱してみてくださいませ。(^O^)


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